インプレッション、単純接触効果、ハロー効果…能力とは無関係な「勝利の方程式」

当選に必要なのは「印象」「心理テクニック」

昨日、政治広告に関わる業者さんとZOOM会議をした。

料金等の話は詳細に語れないが、最初の印象は「高い」。
それは当然で、一般人からすると選挙にかかる費用など表に出ないし、適正な値段などわからないだろう。

しかし、後で相場を確認したら、「割と安い」という印象に変わった。政治活動や選挙運動は公職選挙法が関わってくるので、かなりヤヤコシイ。しかしこの業者さん(あえて伏せる)はそのあたりを一手に担ってくれるので、非常に助かる。

しかしあくまでそれは費用対効果や相場の面での話で、費用としては高いものは高い。よって、財布の紐と相談して判断することになるだろう。

さて、ZOOM会議において費用面で印象に残ったのは様々な心理的効果を表現する言葉が出たことだ。「単純接触効果が高まる」とか「インプレッションの機会を増やし印象を残す」とか「ポスターの視認回数は定量化できない」とかである。

理系のワタシからすると、定量化できるデータというのは大事で、様々な政策の効果の検証をするなら、データは欠かせないものだ。しかし、こと選挙においては私たち有権者と子どもたちの未来のために「選択」をすることになるのだが、それを「印象」で決めてしまうことの恐ろしさ、リスクは計り知れない。

だが、間違いなく今の日本の選挙においては一番大切なのは「接触回数」や「印象」などの心理面が大きく影響しているであろうことは、否定することはできない。

そんなのは嫌だ!と言っても変わらないジレンマ

今、まさしく私はジレンマに陥っている。政策や議会の不真面目さを街頭演説でアピールしても、車中には聞こえない。せいぜい私の姿と「のぼり」が見えるくらいだ。これを「印象づけをしている」と言われたら、大きな反論はできない。実質的に印象づけになってしまっているからだ。

では、そのような意見・批判に対してどのように返すのか?

それは「Youtube、ブログ等で逐一発信している内容で、動画も公開している。目的は印象づけではなく、あくまで付随するもの」といったカタチになるだろう。

少なくとも、無料でできるSNSでメジャーなものはほぼ網羅している(と思う)。単純な印象づけではなく、あくまで情報発信と拡散のために街頭演説をしているのだ。

私は、「私が政治家をする必要は無い」と考えている。他にもっと良い候補が次期選挙の9割を埋め尽くしているなら、諦めても良いくらいだ。しかし現状は人っ子一人いない。

それを嘆いても仕方ないし、私が自ら立ち上がるほか、現状を打破することは不可能だろう。
そんな気持ちから始まった政治活動だが、最近は使命感のようなモノも芽生えてきた。要するにそれほどまでに日本に民主政治は堕落してしまっている、という現実を思い知ったからである。

坂井市の民主政治を取り戻すには私しかいない、とすら思えてきている。

それほどまでに、坂井市の民主政治は残念なことに、大きく破綻しているのだ。

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