選挙に出るのは誰のため?選挙に出ないのは誰のため?
主権者が国民である民主政治を取っているこの日本において、「投票」と「立候補」は非常に重要な権利だ。投票は候補者に想いを託す。つまり立候補者に負託し、候補者は一定の負託数を受けると政治家として働くことができる。
しかし実際の選挙というものには無投票というものがあり、負託もへったくれも無い状況が地方選挙においては散見される。私達「福井県をよくする会」は福井県内において無投票を無くし、有権者の選択肢になり得る候補者の排出を常日頃から願い、活動している。
先に伝えたとおり、立候補は投票と同じで主権者たる国民一人ひとりに与えられた重要な権利である。しかし、その世間的扱いは大きく異なる。皆「投票に行け」とは言うが「立候補しろ」とは言わない。
私なんかはどちらかというと「立候補するな」と言われる立場のほうである。これまでに「選挙には出ないでくれ」と私に言ってきた人物を挙げると、
- 妻
- 義両親
である。
そもそも、選挙の準備については広く公にしており、街頭演説・チラシ配り・SNSと至るところで語っている。しかしいわゆる親族と呼ばれる関係者―――私の両親や兄弟、妻の両親には相談していない。
それは特に悩んでいないからだ。相談というものは迷いがあるからするもので、気持ちがあるなら突き進むのみである。もちろん、例えば経済的支援を受けている学生等が親の支援を受けて大学に行ったり、奨学金の保証人・連帯保証人になってもらう時には相談は必要だろう。
皆さんは就職活動をするときに親に相談するだろうか?私達は一体どの時点で己の人格が親から独立したと言えるのだろうか?
私は神奈川県にいる両親の元から離れ、全く縁もゆかりも無い福井県で過ごしており、家も買った。しかしそれに関して両親の関与は一切なかった。好きなヒトと結婚し、好きな家を選んでここにいる。
選挙の立候補も同じことだと私は考える。私は私の意思で物事を決めていく。
今でこそ妻にも了承されているが、かつては反対されていた。
しかし、私の熱い意志が妻に伝わったのか、いつからか応援してくれるようになったのだ。
これからも、私が選挙の準備をしていることに反対する人は出続けるかもしれない。
しかし自らの硬い意思は、そんじょそこらの圧力に屈することはないだろう。
それは私と妻、そして産まれてくる子供と、これからも引き続き坂井市に幸せに住み続けたいと思っているからだ。私は、私と妻と子供の幸福を追求するため、これからも壁に立ち向かっていく。
追記
懸念していたことは杞憂でした。
いまのところ「止めてくれ」という人はいません。
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