岸見一郎 古賀史健 著「嫌われる勇気」を読了しました

きっかけ

福井県をよくする会代表:ダニエル益資・大野市議会議員より標題の本を勧められた。
高浜町議会の児玉ちあき議員のFacebook投稿でも取り上げられていたこともあり、そこそこ興味を持ちながらも、なかなか読み始める機会がなかったが、アマゾンKindleならすぐさま購入可能であった。これでは読まない言い訳ができない。読んでみよう。そんな気持ちで読み始めた。

顔面パンチでボコボコにされた

本書は「哲人」と「青年」の対話形式で展開されるため、ストーリー性があって非常に読みやすい。
青年は「誰でも今すぐに幸福になれる」と唱える哲人を「絶対に論破してやる」と息巻くが、問答を重ねるたびに青年は哲人から深いダメージを何度も受ける。
そしてそのダメージは青年を貫通し、読者(わたし)にも届く。
おそらく日本人の殆どが、特に年齢が若いほど哲人の言葉に「うっ」となってしまうことだろう。
(実際、青年もそのようになるシーンがある)
それほどまでに、この「嫌われる勇気」は「厳しい意見」を浴びせてくる。しかもほぼ事実なので否定はできない指摘であるため、本書を読みすすめるのは非常に苦労した。

結果として、読了に1ヶ月程度かかったかもしれない。

書評

本書は岸見一郎と古賀史健の共著作で、オーストリア出身の精神科医:アルフレッド・アドラーの提唱した心理学を理解しやすいように対話形式で展開され、哲人が青年の悩みを「アドラー心理学」に基づいて傷口に塩を塗るかのような痛みを伴いながら解決に導いていくストーリーである。

私が印象に残っているフレーズは

  • ・悩みは全て対人関係から生じる
  • ・原因論ではなく目的論に基づいて思考・行動せよ
  • ・すなわち、変えようもない過去やありえない未来を考えるのではなく「今ここ」に全力を投入せよ
  • ・承認欲求は自由を奪い、不幸に導く。承認欲求を捨て、幸福を手に入れろ
  • ・馬を水辺に連れてくることはできても、馬が水を飲んでくれるとは限らない

である。

以下、各フレーズについて触れる。

・悩みは全て対人関係から生じる

「自分の抱える悩みは全て対人関係が生み出す」。これは言われた瞬間「なるほど」と思った。よくある悩みと言うと、例えば①自分は背が小さい②自分は喋ることが苦手だ③仲の悪い人がいる、などが挙げられるが、これらは全て対人関係から生じている。

つまり、①は他人と比較していて、②は他人との会話をするために起こり、③はそのままだが他人と何かしらかの関係を持っているために起こっている。

極端な話、対人関係を持たなければ悩みは生じない。例えば自分が障害を持っていたとする。普段の生活には補助が欠かせない。そんなとき、悩みが生じるのは「足の不自由な自分は生活に困っている」と悩むのではなく、「足が不自由な自分は他人(補助者)に迷惑がかかっている(のではないか)」と悩んでいるのだ。

一見無茶苦茶かもしれないが、私はこれに納得した。仮に補助者がおらず、自分の身一つで生活しなければならない場合、そこに悩みは生じず生きることに全力を尽くすのみとなるだろう。

悩みとは、全て対人関係から生じるのだ。

・原因論ではなく目的論に基づいて思考・行動せよ

一般に、「心理学」と聞くと(私でも知っている)フロイトやユングのような「原因論」に基づく考え方を想像してしまう。つまり、「○○が起きているのは過去✕✕があり、トラウマになっているからだ」という類のものである。

これは現代の日本において一定の評価というか、なんとなく「そうなのだろうな」という感覚は持っている人は多いハズだ。

しかし、アドラーは「原因論はただの言い訳だ」と強く否定する。

上記の「〇〇が起きているのは~」という原因論はアドラーに言わせると「あなたは過去に✕✕があったことを理由(言い訳)に、〇〇が起きていることをあなた自身が許容している。トラウマなぞ存在しない。」ということだそうだ。

これには私も(ダメージを受けつつ)納得してしまった。私にも覚えがあるからだ。
例えばコミュニケーションについて。私は他人とのコミュニケーションが苦手だ。なにか喋ろうとすると良いことを言わなくてはと思い上手く喋ることができず、声が裏がってしまったり、(自分自身にとっても)見当違いなことを喋ったりしてしまう。

何故なのか?
これは父親と大学院の先生とのコミュニケーションが大きく影響している、と以前は考えていた。
父は昔から短気な性格で、時に大声で怒りを表現したり、物に当たることもしばしばあったので、そんな父に私は萎縮し上手く喋れないことがしばしばあった。(普段はそんなことはない)
大学院の先生(自分の所属とは別の先生だったが)にはヒステリックに怒られたこともあるし、「私はあなたのような人間に理解がある」と言われていたのに私を否定するような発言をされたからだ。

また、これらとは別に休学に至った経緯から生じた不安症・不眠症や薬の副作用などが原因と考えていたのだ。(特に舌が回りにくくなった気がする)。

考えだすと深く思い悩むことが増えたため、あえて何も考えないようにするように努力したし、生きることだけ、目の前の困難を乗り越えることだけを考えるような状況を作り出し、それだけに集中するようにもした。

だが、これらの原因論はアドラーに一蹴された。

私は「コミュニケーションが苦手だ」と言いたいがために上記のようなことが原因だと許容している、というのだ。本当に必要なのは現実と向き合うことなのに。

自分以外にも通ずる「目的論」

ついでなので本編から話を引用する。
上司があなたに強い叱責をしたとする。かなりの強い叱責だ。原因論から考えると「あなたがなにか怒らせることをした」とか「上司になにか嫌なことがあり、怒りにしてあなたにぶつけている」などと考えるだろう。

しかし「目的論」で置換すると、「上司は怒ることを目的にあなたに叱責をしている」となる。
そんなバカな、と思うかもしれないが、この考え方が重要なのだ。

これ以上は本書を読んで確かめてみてほしい。

・すなわち、変えようもない過去やありえない未来を考えるのではなく「今ここ」に全力を投入せよ

これは「原因論を捨てろ」ということである。
実際、過去を言い訳に今に力を注がないことは、逃げているだけだ。これは上から目線の言葉ではなく、「現実的」な話だ。なるほど言われてみれば過去を言い訳にして今を頑張らないようにしているとも言えるし、それをすることで自分が得るものがない。

未来の不安も「言い訳」の一つだ。自らの意思で決めた行動はある種の責任が生じる(と考える人が多い)が、それを言い訳に行動しないのことも、自分にとっては良くないことだろう。

・承認欲求は自由を奪い、不幸に導く。承認欲求を捨て、幸福を手に入れろ

※ここから都合によりですます調になります※
人は誰しもが承認欲求を抱くことがあると思います。
しかしその承認欲求は他人が望む人間になるということ。言葉を言い換えれば、自己の消失です。
アドラーは、「真の幸福を得るには承認欲求を捨てろ」と言い放ちます。他人に合わせ続ける人生を歩むと、いずれは不幸になる、とも言うのです。
承認欲求を得ようとせず、自分の思い描いた人生を生きる。聞こえは良いですが、これには大きな危険があります。それは他人から低評価を下されることが多々あるということです。
「あなたのような考え方は良くない」「お前は間違っている」などと言われます。そして、多くの人間は自分の思想をそのまま語れば、そう返されることがあると理解している。それが怖いから、言いたいことを言えないのです。

「相手から嫌われるかもしれない勇気を以って行動し、幸福を得よ」。これは言い換えると「幸せになる勇気を持て」とも言えます。

・馬を水辺に連れてくることはできても、馬が水を飲んでくれるとは限らない

これは課題の分離のことを指します。本書には以下のようなたとえ話が出てきます(改変あり)。

あなたは馬に乗って旅をしています。この先、水場のない地帯を進むことになります。そんな時、なるべく馬に水を飲んでもらいたいとあなたは思うでしょう。
たまたま近くに水辺があるので、馬を連れていきました。しかし馬は喉が乾いていないのか、はたまたその水が気に入らないのか、飲もうとしてくれません。あなたは無理やり水を飲ませようとしますが、怒った馬はあなたを蹴って逃げていきました。チャンチャン。

ここで注目したいのは、馬を水辺に連れて行くまでがあなたにできることで、馬が水を飲むか否かは馬次第、という点です。

言い換えると、水辺に連れて行くまでがあなたの課題で、水を飲むかどうかは馬の課題なのです。

これは教師と生徒、親と子供の「勉強する・しない」などに置き換えることができます。もちろん、馬が水を飲まずに息絶えてしまうこともありますし、生徒や子供がろくに勉強せずに知識や思考力に劣る大人になる可能性もあります。しかしそれは生徒・子供の課題です。教師や親の課題ではありません。

この考え方の最大の論点は最終的な責任者であると私は思います。
この場合の最終責任者は生徒と子供です。教師や親の責任ではありません。
生徒や子供たちを操ろうとせず、尊重し、責任を負わせる。これがアドラー心理学における課題の分離です。

おそらく、この考え方は多くの日本人には馴染みが無く、かつ受け入れ難いことだと思います。
「冷たい親だ」「育児放棄、ネグレストだ」「子供のしたことは親の責任」。そんな声はよく聞きます。しかし、課題の分離をすることが、幸せになるために必要なことだとアドラーは言います。

私のこれから

私は本書を読んで納得することが多々あった。
そしてそれらをなるべく実践し、真の幸福を得たいと思う。
そのために、嫌われる勇気を持ち、正直な行動をしつづけたい。仮にそれが他人にとって評価を受けないことであっても…

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